記録写真が語る
ダスキンヒストリー
「主婦のニーズにマッチ」
- 5 ジェンダー平等を実現しよう
- 8 働きがいも経済成長も
- 9 産業と技術革新の基盤を作ろう
- #ダスキンヒストリー
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- #衛生
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- #そうじ
- #エコ
- #ワークライフバランス
私たちダスキンは、皆さんから見たらどのような会社に見えるのでしょうか。モップやマットをレンタルし、エアコンなどのお掃除や家事代行サービスを頼める会社、いやいや、介護用品や福祉用具、イベント用品やベビー用品もレンタルしているし、高齢者の生活もサポートできる。あのミスタードーナツもダスキンが運営しています。その他にも多彩な事業を展開しているんです。結局何をしているのかよく分からない会社だなぁって思う人も多いかもしれません。
そこで!私たちダスキンの歩みをできるだけ分かりやすく、この場をお借りして紹介します。今回は4回目です。
chapter 04
主婦のニーズにマッチ
ダスキンが創業して3年が経った1966年。モップなどの業務用レンタル商品はそれなりに業績を伸ばすものの、家庭用“貸しぞうきん”の「ホームダスキン」は苦戦していました。
「ホームダスキン」は水を使わずにさっと拭くだけでホコリが取れ、定期的に回収し新しいものに交換するため、お掃除の負担を減らせる商品でした。
しかし、「古布でいくらでもぞうきんができる。なぜぞうきんにお金を払わなくてはいけないのか?」
これが当時の主婦※1の一般的な反応でした。
誰かに薦めたくなる商品
そんななか、状況を打開する一人の女性が現れます。
彼女はダスキンで働く前に「ホームダスキン」を試したことがあり、商品の良さを体感していました。やがてダスキンで働くことになり「ホームダスキン」の価値と魅力をお伝えする訪問販売を行います。そこで過去に培った組織販売・リーダーの経験を活かし、あっという間に70件ほどの注文をいただいてきたのです。
また、自身の活動にとどまらず、知り合いの主婦を誘ってグループをつくり爆発的にお客様を増やし、商品普及活動に尽力しました。社交性があり社会への関心が高い彼女たちにとって、さっと拭くだけでホコリがとれ定期レンタルで使用できる「ホームダスキン」は誰かに薦めたくなる魅力的な商品だったのです。
シーダーさん
創業者の鈴木清一は、こうした主婦の活躍を喜び、レンタルに携わるお客様係の主婦たちを1965年12月に「シーダーさん※2」と名づけました。英語で「SEED:タネをまく」に「ER:~する人」を足し、ダスキンの理念である「喜びのタネまき」をする人、という意味の造語です。発案者は、ダスキンの会社名を提案し採用された当時の営業部長で、のちに社長となる駒井茂春でした。
主婦のニーズにマッチ『シーダーという仕事』
シーダーさんから成るシーダー組織ができた1965年頃は、女性の社会進出が始まろうとしていた時期でした。シーダーさんのお仕事は、隙間時間に働けるので家事との両立ができ、社会の風にも触れ新たな生き甲斐にもつながり、主婦のニーズにマッチしました。
こうしてシーダー組織は強力な営業力を発揮し続け、家庭市場開拓に本格的に乗り出していくのです。
主婦のニーズにマッチ
『ホームダスキン、ホームダスキンモップ』
当時、三種の神器と呼ばれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が普及したことにより、主婦が家事にかける時間は減りました。
掃除機も普及し始めていましたが、細かい部分の掃除では手軽に使える「ぞうきん」や「はたき」が相変わらず活躍しており、「ホームダスキン」や「ホームダスキンモップ※3」は、「ぞうきん」や「はたき」の動きを手軽に確実に再現できるお掃除用具として主婦に受け入れられました。また、当時は日本家屋の床材は多くが畳で、水を嫌うプリント合板や化粧石膏ボードなど新建材が多用されており、これらの手入れにも重宝されました。
こうして家庭用商品は軌道にのり、志を共にする従業員とともに成長していくのです。
※1:1960年代、女性は結婚後、専業主婦になったり家業に携わることが多かった。
※2:「シーダーさん」は、のちに役割と意味合いを変えながら“リーダーさん”“ハーティさん”と名称を変え現代に引き継がれていく。
※3:水を使わずに軽く押すだけでホコリがとれる当時の家庭用モップ。