記録写真が語る
ダスキン
ヒストリー
「ダスキンが生まれた日」
- 8 働きがいも経済成長も
- 9 産業と技術革新の基盤を作ろう
- #ダスキンヒストリー

私たち、ダスキンって皆さんから見たらどのような会社に見えるのでしょうか。モップやマットをレンタルし、エアコンのクリーニングやお風呂の掃除を頼める会社、いやいや、イベントも頼めばできるらしいし、高齢者の生活もサポートできる。あの全国にあるドーナツ店も実はダスキンが運営しているそう。結局何をしているのかよく分からない会社だなぁって思う人も多いかもしれません。
そこで不定期にはなりますが、ダスキンが生まれる少し前から現在に至るまでの私たちダスキンの歩みをできるだけ分かりやすく、この場をお借りして紹介できればと思います。
chapter 01
ダスキンが生まれた日
1963年11月16日

転機は1961年に
ダスキンを始めたのは鈴木清一という人です。この人、今後もかなりの頻度で登場します。それくらいダスキンにとってとても重要な人になります。鈴木清一は、それまでビルのメンテナンスなどを主に行う会社を経営していました。1961年、大きな転機が訪れます。ダスキン創業のきっかけの一つ、今のダスキンモップやマットの技術の礎となるダストコントロール技術をアメリカの友人に教えてもらったことでした(ダストコントロール技術についてはこちら) この技術を生かしたら日本の掃除を変えることができるかもしれない。もっと楽に掃除することができるかもしれない。そう考えた鈴木清一に、当時としては考えもつかなかったアイデアがひらめきます。
そのアイデアとは『一定期間、このダストコントロール技術を取り入れた化学ぞうきんをお客様に貸し出して、汚れたらきれいな化学ぞうきんと交換する「貸しぞうきん」を商いにできないか』。すぐに研究開発をスタートします。そして、わずか2年もたたない1963年2月に、のちのダスキンとなる株式会社サニクリーンを設立。先ほどの技術を活用したダストコントロール商品第1号となる「サニクリーンロール」を発売します。ダスキンのモップといえば一般家庭で使われているイメージがあるかと思いますが、実はオフィスやビルで使われる事業所用のモップからスタートしたのです。

※のちの「ダスキンロール」吸着剤加工した大きな布を本体に巻き付けただけの簡単な構造でした
払い下げの再活用でスタート
同年11月16日には、大阪府吹田市にレンタル商品の洗浄・加工を行う建坪80坪ほどの小さな工場を開設。米軍から払い下げられた洗濯機と脱水機、手動式のボイラーがそれぞれ1台、乾燥機が2台で本格的に始動しました。これが現在まで続くダスキンのレンタルシステム(くわしくはこちら)の始まりとなりました。

当時の大阪府吹田市はのどかな田園風景が見られました。
現在は同じ場所にダスキンミュージアム、研修施設のダスキンスクールなどの施設があります。
電話もない工場?
この工場、開設当時はなんと電話もなかったそうで、本社や営業所などとの連絡はあらかじめ打ち合わせた時間に社員が工場近くの公衆電話の前に行って先方から電話が入るのを待っていたとか。また、開設当時はモップなどのレンタル商品の流通数も少なかったため、空いた時間に社員たちは田んぼでキャッチボールをしてコミュニケーションをとったり、敷地内の草むしりをしていたとの記録が残っています。こんな環境でダスキンはスタートしたのでした。
ダスキンはこの吹田工場を開設した11月16日を創業記念日としています。電話もない、わずかな機材からスタートしたダスキン。ここから日本の経済成長とともに成長していくことになります。

設備は極めて小規模でした。
米軍払い下げの洗濯機と脱水機が見えます。
ダスキンはこの吹田工場を開設した11月16日を創業記念日としています。電話もない、わずかな機材からスタートしたダスキン。ここから日本の経済成長とともに成長していくことになります。