60年の歴史のとっておきエピソードを公開! あれこれのぞき見!

規格外のエンタメ型レストラン
「カーニバルプラザ」とは?

規格外のエンタメ型レストラン「カーニバルプラザ」とは?

1980年代、日本が空前の好景気に沸いていた時に大流行だったレストラン「カーニバルプラザ」をご存知ですか?
ネオンのイルミネーションが光る敷地内には、ピエロや演奏隊が歩き回るなど、
当時としては珍しいエンターテインメント型レストランでした。
このカーニバルプラザ、実は紡績工場跡地活用の相談を受けたダスキンが開業したレストランだったのです!

再開発のために発足された
「スーパーレストランプロジェクト」
紡績工場当時

紡績工場当時

1981年、「ダスキン吹田工場」(大阪府吹田市)近くにあった紡績工場跡地を有効活用できないかとの相談を受け、ダスキン社内で「スーパーレストランプロジェクト」が発足。当時、「ミスタードーナツ」に次ぐ新たな業態を模索していたこともあり、一大プロジェクトとなりました。アメリカで人気の飲食店の調査や研究を徹底的に行い、1983年ダスキン創業の地である吹田市にオープン。大正時代の紡績工場の建物をそのまま生かし、シーフードホール、バーベキューホール、港のラウンジの3つのホールを有する規格外のサイズ感で当時は日本一大きなレストランといわれ話題を集めました。

バーベキューホール

バーベキューホール

シーフードホール

シーフードホール

カーニバルプラザの面積
店名はダジャレから生まれた!?
駒井社長直筆カーニバル命名メモ

駒井社長直筆カーニバル命名メモ

シーフードホールメニュー

シーフードホールメニュー

レストランでは主力商品として、カニを中心としたメニューを提供。店名は当時の社長である駒井茂春が「祝祭空間」を意味する「カーニバルプラザ」と命名。また、メニューにちなんで「カニ威張ル」にも由来しています。なんと、ダジャレからついた店名だったのです。名前の通り、ピエロや雑技団、生楽器の演奏など、まるで海外のお祭りに遊びに来たかのような空間でお客様に食事を楽しんでいただきました。

カーニバルプラザの様子
岡本太郎氏作のシンボルマーク
シンボルマークガイド

シンボルマークガイド

「展覧会 岡本太郎」で展示されたレストランの備品

「展覧会 岡本太郎」で
展示されたレストランの備品

店舗のシンボルマークデザインは“カーニバル→リオデジャネイロ→太陽→太陽の塔”という連想ゲームのような発想から、岡本太郎氏に依頼することに。太陽の塔を彷彿とさせるユーモラスな顔のシンボルマークが完成しました。きらびやかな外観には縦横約5メートルの大きさの看板が掲げられ、店内で使用するエプロンやビールジョッキなどにもこのマークをデザイン。これらは2022年に大阪中之島美術館(大阪府大阪市)で開催された「展覧会 岡本太郎」(2022.7.23〜10.2)でも展示されました。

もっと知りたい!裏話
ダスキン本社ビルから撮影した豊津公園の「リオちゃん」

ダスキン本社ビルから撮影した豊津公園の
「リオちゃん」

カーニバルプラザはその後、6店にまで事業拡大しましたが、2007年に最後の店舗が閉店し24年の歴史に幕を下ろしました。閉店にあたり大型看板も処分の危機にありましたが、市民からの強い要望により保存が決定。現在はダスキン本社(大阪府吹田市)の向かいにある豊津公園に設置され、これまで名称は特になかったのですが、市民により「リオちゃん」と名付けられました。まるでダスキンを見守ってくれているかのような存在感を放っています。ぜひ、お近くにお越しの際は「リオちゃん」に会いに来てくださいね。